子育てには感情のコントロールが必要―ユダヤ式家庭教育―

公開日: 教育 子育て 本紹介

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感情のコントロール

 子育てをするには、感情のコントロールが重要です。以下は本書に書かれていた感情をコントロールする方法です。

きめつけないことが大切

「子どもは自分の部屋を整理整頓しておくべきだ」という思いがあると、「こんなひどい散らかりよう見たことがないわ! 本当にしようのない子ね! なぜ、片づけられないの!」とカッとなってしまいます。「もうちょっと部屋をきれいにしておいてくれたらいいんだけど」ぐらいなら、感情的にならないで、もっとおだやかに対応できるでしょう。

「子どもは母親に呼ばれたらすぐ来るもの、来ないなんて許せない」とか、「子どもは喜んでお手伝いをするべきなのに、ブウブウ文句を言うなんて」などと思えばカッとしてしまうでしょう。

 子どもが兄弟げんかをしても「ちょっとやりすぎかしら。でも、しょうがないわ、兄弟がいればけんかぐらいはするものね」と受け止められる母親は、「ひどい」とか「耐えられない」と思う母親ほどはイライラしません。

子どもの行為を悪いほうに解釈しない

 子どもが言うことを聞かないと「我慢出来ない」から、「この子は悪い子だ」と極論に走ります。

「呼んでるのが聞こえたはずなのに、来なきゃいけないって分かっていて、どうして来ないのかしら。きっと、私の言うことなんか聞きたくないからだわ。本当に悪い子!」
「どうせロクなことを考えていないんだから、子どもが悪い」
「親を怒らせようとわざということを聞かないのではないか」
「その気になればもっとちゃんとした振るまいができるはずなのに」

 このようなことを思うと、ますます怒りがこみあげてきます。さてここで、そういう時の自分の心のうちを思い出して見てください。

 例えば親をばかにしたような言い方を子どもがしたとします。「この子は何でこんな言い方をするのだろう」と、まず思います。次の段階で、「親にこんな言い方をするなんて、どういう子?」と考えが飛躍すると、「悪い子」という答えが返ってくるはずです。「親にむかってこんな言い方をするものではない」と判断したとすれば、「こんな言い方をするなんて……」と続いて「しようのない子」となります。

 認めたくはないでしょうが、たいていはこうした解釈を心のうちでしているはずです。

物事を良い方に取るユダヤの教え方

 子どもの欠点ばかりに目がいって批判的になると、怒らなくてもよいことにカッとなったりします。怒りたくなかったら、はっきりした欠点でも、良いほうにとってみることです。

 できるかぎり、ものごとを子どもに有利なように解釈してください。呼んでも来ないのは、聞こえなかっただけかもしれません。「聞こえているのに来ないとしたら、わざと抵抗して」などと邪推せずに、はっきり子どもに言うことです。

 子どもの行動が間違っていても、悪いほうに取ったりせずに、何か訳があるのだろうと考えてみてください。

 例えば、「あの子は友だちのそばを離れたくないのだ」とか。といっても、来なくてもいいというのではありません。子どもには、おだやかに、しかしきっぱりと、「遊んでいるから友だちから離れたくないのは分かるけれど、お母さんに呼ばれたら来なさいね」と言ってください。言うべきことは、ためらわずに言わなければいけません。ただその際に、否定的な判断をしないことです。

 何回叱っても言うことをきかないと、つい、「その気になればちゃんとできるはずなのに」と文句が出ます。そんな時には、子どもだってそう簡単に変われるわけではなく、時間も手間もかかるものだということを思い出してください。

 かつて、ラビ・シムハ・ツェセル・ジヴは、「ある教師は、生徒を三、四回諌めてもきかないと、すぐにかんしゃくを起こす。それでは気が短すぎる」と指摘したことがありました。ラビは、「教師たる者は堪忍袋の緒が切れそうになったら、まず、自分はいつも三、四回の注意で悪いところを直しているかどうか、自問自答してみよ」と教えています。

 子どもが言うことをきかないと、親を困らせるためだと思ったりしますが、わざとそうしているようにみえても何か訳があるのだろう、大目に見てあげようと考えたらどうでしょう。

子どもに理想像を掲げない

 怒らないようにするには、まず子どもの理想像を掲げたり、親に都合のいい要求をやめることです。自分のことより、子どものためということに的をしぼりましょう。

 例えば、部屋を散らかされても不愉快だなどと自分の感情にとらわれないことです。子どもにとって整理整頓がどんなに都合がいいかを考えてください。散らかった部屋をどうしたらいいかと、建設的な解決法へと心が行くはずです。

楽をしたいという思いを改めましょう

 楽をしたいという思いがエスカレートして、欲求不満がつのると、怒りになります。ですから、怒りを取りのぞくには、まずそういう願望を持たないこと。つまり、気楽な人生をおくりたいから面倒なことは一切ごめんだ、などと考えないことです。

 もちろん、こうした願望をすてなさいといわれても、そう簡単にはいきません。長年、何でも自分の思い通りにしたいと思ってきたのなら、なおさらです。根気よく考え方を変えていくしかありません。どうやって楽をしたいかではなく、子どものためを思ったらどうあるべきかということをまず考えてください。

ものごとの優先順位を決めましょう

 用事に負われていると、なかなか冷静ではいられないもの。まず、ものごとの優先順位を決めましょう。あれもこれも焦ると、ついガミガミが出がちです。

「ピカピカの家にするのと、子どもたちが楽しくしているのとどっちが大事かしら?」
「安息日のためのごちそうをあくせくと作る? 子供たちはまだ小さいし、もっと簡単な料理にして、ケーキを買ってくるのはどうかしら?」

 と自分に問いかけて見てください。

 こうして物事に優先順位をつけるのには、ちょっと勇気がいります。掃除が行き届いてなかったり、お手製のケーキを出さなかったりしたら、お客様にどう思われるかしらなどとは気にしないことです。

 細かいことを気にしていると、しまいには怒りになって爆発します。「もうたくさん。ずいぶん我慢してきたんだもの」、「こんな時に冷静でいろと言うほうがおかしいわ。カッとなって何が悪いの」と思ってしまいがちです。

 こうした感情に気づいたら、本来ならどうすべきかに立ち返ることです。立て続けに問題が起こると、冷静でいるのはいっそうむずかしくて、努力もいりますが、できないことではありません。声を張り上げそうになったら、衝動を抑えて、その感情を静かに表現してみてください。

「あなたたち、ちょっとやりすぎね」というくらいにとどめて、声を張り上げるのはなんとしても避けましょう。

自己批判をしないために行為と行為者に分けて考えましょう

 テシュバー(回心)という修正方があります人生には、後悔とか自責の念にかられるようなことがあって当たり前。それがもし、

  1. 実際に間違ったことをした時に感じ、
  2. その過ちを繰り返さないという決意をうながすもの

であれば、健全で建設的であると言えましょう。

 これがテシュバー(回心、悔い改めと訳されるヘブライ語)といわれるトーラー(聖書)における行動修正法です。テシュバーをする際には人格でなく、行為だけを評価してください「悪いことをしてしまったから、私はわるい人間だ」と思うところから、自己批判は始まります。

 ですから、テシュバーを上手に行うには、自分の取った行動から自分は駄目な人間だと決めつけるのはやめなければいけません。

「私は悪い母親だ」というのではなく「ああしたのは悪かった」とか、「カッとなるなんて私は駄目な人間」ではなく、「私にはカッとなる悪い癖がある」という具合に、行為と行為者を分けなければなりません。

 悪いことをしたから悪い人間だと考えなければ、罪悪感にさいなまれることもなくなるでしょう。

子どもに謝るのはよいことです

(親はよく)不必要に子どもを傷つけた場合、子どもに謝ったほうがいいのかどうかと悩むものです。テシュバーには、どんな場合でも迷惑をかけたら相手に謝るということも含まれています。
ラビ・ワッサーマンは、「親はきちんと子どもに謝るべきで、そうすることで子どもとの関係も良くなる」と言っています。

 ところで謝り方が問題です。やましい感じで謝るというのはよくありません。「さっきは怒鳴る(叩く)べきじゃなかったのに、ごめんなさいね」と言うのがいいでしょう。
怒るのはよくないことだと、子どもに分からせなくてはいけません。親のよくない怒り方が見逃されると、子どもは自分も怒っていいのだと思ってしまいます。

 子どもに謝るときには、私たちはモデ・アル・ハエメット(間違いを認めること)の模範を示しているとも言えます。子どもは親のするとおりを見習うわけですから、これは、どうやって自分の間違いに気づいて、謝ったらいいかを教える効果的な方法と言えます。

尊敬を子どもに強いてはいけません

 親を敬うということは、親子の双方の責任であることを頭に入れておきましょう。つまり、子どもに親を尊敬する義務があるのなら、尊敬しやすい環境をつくってやるのは親のつとめです。子どもに尊敬を強いてはいけません。それでは尊敬しなくなってしまいます。親は寛大に、時にはそうしたことを無視するぐらいでいいのです。

 子どもを尊重しない親は、子どもにも尊敬してもらえません、逆に言えば、子どもを十分に重んじる親は、『両親を敬いなさい』というミツバー(ユダヤの戒律)を身をもって示していることになります。

 家庭の雰囲気は大変な影響力を持っています。自らが手本となることは、常に、もっとも効果のある教育法です。 当然、両親が互いに示す態度も手本になります。これはもちろんミツバーであるわけですが、家族間相互のあり方の決めてともなります。

 嫌味を言う、批判する、わめき散らす、悪い冗談を言う、話をさえぎるなど、もし両親が互いを尊重した口のきき方をしなければ、子どもの態度にもそれがそのまま表れてくるものです。子どもは親をよく見て、まねして覚えます。まねられてもいいことをするのが一番と言えましょう。 

 教育方針の点で夫婦の意見が分かれることがあったとしても、子どもを巻き添えにしてはなりません。特に、子どものいる前で、片親が、もう一方のしつけについて(ばかりか、他のいかなることさえも)批判するべきではありません。

 意見の相違があれば、子どものいないところで話し合ってください。 夫と妻は、子育てという大仕事のパートナーなのですから、互いに支えあい助言しあって、いつも協力していくことが望ましいのです。

静かな話し方に威力があります

 子どもが思い通りにしないといってイライラすると、子どもは腹を立てて言うことを聞かなくなったりします。 子どもの協力を得るには、静かでやさしい声にまさるものはありません。 有名な『イゲレット・ハラムバム(ラムバムの書簡)』という名著のなかで、ラムバムは息子にむかって「人にはいつも声を低く抑えて話しなさい」と、さらに、低く声を抑えて話せば、自分が怒らずにすむ、と書いています。 

 静かな声は心を和らげ、リラックスした雰囲気を作り出します。子どもは安心して親の言うことに耳を傾けるようになります。静かな話し方には威力もあります。自分自身とその場の状況をコントロールしているからです。

ほめること、励ますこと

ほめることについて

 ほめたり励ましたりは、子どものしつけで一番効果がある手段です。ある賢者は、「子どもが本来持っている価値に気づかせ、その資質を最大限に発揮させるのがほめ言葉だ」と言っています。 子どもをほめたり励ましたり、真価を賞賛してやると、子どもは気持ちが落ち着いて、しだいに自身を持つようになります。

ほめることに気を配ってください

 以下はほめ言葉の例です。 「みんなの朝ごはんを用意してくれたの。偉いわね」 「ゆうべは、ちゃんと時間通りに寝たのね」 「お母さんがひと休みしている時には、安心して妹の世話をあなたにまかせておけるわ」
 子どもにとって大事な人の前でほめてあげると、特に効果が大です。例えば夕方、子どものいる前で父親に、「お父さん、きょうアヴィは、大きい子みたいに、ちゃんと服を着替えたんですよ」と言ってみましょう、朝のうちに、「お父さんが帰ってらしたらアヴィはきょう上手に着替えしましたって話しましょうね」と言っておくと、ほめることの効果がいっそう期待できます。 子どもの態度では、親を困らせることのほうが目につきやすいものですが、ほめてあげることはないかといつも気を配っていてください。

 子どもたちが静かに部屋で遊んでいる時には、あまり注意をはらいません。騒ぎ出すと静かにしなさいと言ったりします。おとなしく遊んでいる時に、「いい子で静かに遊んでいるのね」と、ほめてあげるのはつい忘れがちなものです。

 ほめてあげるチャンスを、時々、作るようにしましょう。 母親――(朝食のテーブルで)「アーロン、今度はどれだけ上手に、こぼさないでミルクをつげるかしら」 (アーロンは気をつけて上手につぐ) 母親――「気をつけて注いだのね。全然こぼれなかったわ」 子どもの努力もほめてあげましょう。 「妹と仲良くしようって、とっても頑張ってるのね」 ほめることも訓練を要します。注視していないと、知らないうちにほめる機械を逃してしまいます。けれど、いったんほめることが習慣になると、子どもにも、家庭の雰囲気にも大きな変化があらわれてきます。

ほめるときは具体的に 

 一番効果的なほめ方は、具体的であり、適切、かつ客観的であることです。 ほめる時には、行為そのものをほめてあげてください。「すばらしい子ね」とか「あなたって、とってもいい子ね」のような全体的なほめ方は避けましょう。

 ほめることで、具体的にどういうことが望ましいのかを教え、子どもがそうした行為をくり返すようになることが肝心です。つまり、ほめ言葉は子どものしていることに的をしぼったほうがいいのです。

 もし、ほめ言葉が子どもの全人格的なことがらを指すようだと、子どもは行動やその結果で、自分の本来の価値が評価される、あるいは、親に愛されるかどうかは自分の行動によって決まるという印象を持ってしまうかもしれません。具体的な行為をほめるようにすれば、こうした誤解は避けられます。

度を超したほめ方は避けましょう 

 度を超したほめ方や適切でないほめ方をされると、子どものほうが素直に受け取らなかったりします。子どもは、「自分はほめられるほどではない。きのう自分は妹をぶったのだから、そんなに立派な子どもではない」などと自己認識をしているものです。 親が喜ぶからよいことをするのではなく、よい行ない自体に価値があることを教えてください。

効果的な励まし方

 子どもの判断を信頼すると励ましになる。子どもも家族の話し合いに入れて、いい考えを持っていたら認めてやる。 「気をつけないさい、おっこちるわよ」とか「気をつけて、壊れそうよ」などと、必要もないのに注意するのは避けたほうがいい。注意する必要がある時でも、「コップいっぱいまで注がないほうがいいんじゃない」のように、起点を利かせた言い方をしてみること。

叱るときの原則

目的

 子どもを叱る時には、本人のためを思ってのことだとはっきり伝えてください。 「人を叱る時は、明るくおだやかに言いなさい。相手が天国で永遠の命が得られるよう、相手のためだけを思っていると説明しなさい」とラムバムが言っています。

タイミング 

 叱るのをためらってはいけませんが、「心に溜まりそうもないことは言わない」ことです。叱られる態勢が子どものなかにできるまで、叱るのを延ばすことも時には必要です。もちろん、子どもが悪いことをしたのを、気づかぬふりをして見逃すのはよくありません。親が黙っていると、子どもは容認されたと解釈します。 幼児を除いては、その場で叱るより時機を待つほうがよい場合があります。

 一時間かそこら、時には一日、二日後ということもあるでしょう。親も子どもも、真面目に、かつ、ざっくばらんに話せるだけ冷静にならなければいけません。 あるラビは、子どもや生徒を叱る時には、怒りが完全に消えるまでいつも十分な時間をおいたそうです。

 一度、彼の子どもの一人が非常に悪いことをした時など、叱るまでにまる二週間かけたそうです。 それから他人の前では叱らないよう気をつけてください。子どもがきまり悪い思いや、恥ずかしい思いをしないようにという配慮です。(きまり悪がったり、恥ずかしい思いをさせないようにというのは、誰もいないところで叱る場合にも当てはまります)

怒らない

 子どもを叱るのは、行動を反省させるとことが目的です。怒って叱ったのでは、目的は達成されません。怒るのは、子どもがとんでもないことをして、その重大さを悟らせる必要のある時のためにとっておいてください。そういう時でも、怒っているように振るまうだけです。内面的には冷静でいるように心がけてください。

よいほうに期待する

 ユダヤの古い伝承に、こんな話しがあります。 モーセの兄、祭祀アロンは、悪事をはたらく者に会うと親しげにあいさつしたそうです。あいさつされた罪人は、翌日、また悪いことをしようという衝動にかられると、「アロンに会わせる顔がない。あの人は私を正しい人だと思っているからあいさつをしてくれる。恥ずかしくて悪いことはできない」と思ったそうです。 

 子どもを叱る時には、よくなってほしいと願っていることが伝わればいいのです。ランの言葉にこうあります。

「悪いことをした人を正すには、ふたつの方法がある。まず、悪いことをしたと分からせること。次に、悪いことをしても共に愛され、好意を持ってもらうことはできると、知らせることだ」

 賢者シェラは、「叱る時には、あなたのような賢明で分別のある人にそのような行ないはふさわしくないと言えば、相手は気をよくして忠告を受け入れる気になる」と教えています。 

 子どもによい子であってほしいなら、その期待を子どもが感じ取るようでなければいけません。親もどうせあきらめているなどとは絶対に思わせてはなりません。

レッテルを貼ってはいけない

 子どもに悪い癖がついてしまったと思うと、親は、えてして、 「パティヤは、母さんの頼みには、たてつかなきゃ気がすまないんだから」 「ディナはつまらないことにいちいち大騒ぎするのね。文句の多い子ね」 「ベンジャミンのやったあとって、なんでもかんでもメチャクチャなんだから」 「ピンハスって、自分では何も決められないのね」 と言ってしまいがちです。 

「責任感がない」「だらしない」「頑固」といった、親が子どもに共通して貼りつけるレッテルも同じです。「レッテルを貼ることは、駄目にすることだ」と著名な児童心理学者が言っています。 ラビ・ヒルシュは、「子どもに対して親が希望を捨ててしまい、子どもを正しい道へ導こうとする意思をなくしてしまったら、子どもまで自分に希望をもたなくなってしまう」と言っています。

こんな叱り方は避けましょう

 子どもが悪いことをしているのを、そのまま本人に向かって「……してるじゃないの」と、否定的な行動をそのまま表現するということは避けたい叱り方です。

 元気な五歳の子が、ソファをトランポリンがわりに、楽しそうに遊んでいるとします。母親が、「家具をだめにしてるじゃないの」と叫んだのでは、ソファを心配している親の気持ちより、子どもの行動に対するイライラだけが伝わってしまいます。

 子どもは気分を害したり憤慨するでしょう。「坊や、ねえ、やめてちょうだい。そんなふうに飛び跳ねてはソファが駄目になってしまうわ」と言ったほうがいいのです。

 子どもの行ないをただすときには、どうしてほしいのか具体的にはっきり言うことです。 「どうしていつも途中でとび出していって、あとを全部お母さんにやらせるの」と子どもに文句を言っても、効き目はありません。

 それより、子どもを呼び戻して、「夕食のあとは台所に残って、全部きれいにするまで手伝ってね」と直接的に言ったほうが効果があります。 子どもと話す時は、きちんと腰をおろしたほうがいいでしょう。手を握ったり、肩に手をかけたりして愛情を再確認させたくなるかもしれません。適当な時に、感じよく切りだして見てください。以下にあげるのはほんの一例です。

「たぶん忘れてたのね……」 「きっと気付かなかったんだと思うけれど……」 「さっきは急いでいたからでしょうね……」 「自分を抑えるのはむずかしかったでしょうけれど……」 「……するつもりじゃなかったのよね」

 子どもを窮地に追い込まないように、子どもの立場から説明するチャンスを与えてください。子どもの言う理由を叩きつぶしたり、言い訳がましいなどと決めつけないこと。どこがいけなかったかを指摘ながら、理解を示すこともできるのです。時には「……について話し合ったこと覚えてる?」などと、ちょっと言うだけでもいいのです。話は明るくしめくくってください。子どもは、自分が行ないをよくしたいと努力していることを親が認めてくれたと安心します。

共感することを親も学びましょう


 子どもがなにか悩んでやってくると、親はすぐに首を突っ込んで自分なりの意見を言いたくなります。結果として、子どもの感情を無視したり、自分の感情を押しつけることになってしまいがちなもの。そうなる前に、「もし私が子どもの立場だったら、なんて言ってもらいたいかしら」と自問してみてください。 相手に共感できるようになるには、分かってほしいのにはぐらかされた時のことを、まず思い出してみることです。 

 例えば、あなたが幼い子どもを四人かかえら主婦だとします。過ぎ越しの祭りまで二週間しかありません。一日中、必死に働きました。 夫が帰宅すると、あなたは、「もう、クタクタよ」と疲れきった笑みを浮かべて言います。

 夫が、「だから君はやりすぎだっていつも言ってるだろう。君のやってることの半分はする必要もないことなんだ」と答えたとしましょう。 どう感じますか。分かってないと思って、おそらくいらだつでしょう。

 あなたは、「クタクタのようだね。一生懸命働いたんだろう。子どもはぼくが寝かしつけてあげるから、しばらく休んだらどうだ?」と言ってほしかったのです。別の時なら必要もない用事は減らすようにとの夫の善意の忠告に喜んで耳を傾けるでしょうが、こういう時はだめなのです。

良い聞き手になろうとしていますか

 親子が理解し合えるような雰囲気をつくるためには親は我慢強く、子どもの立場になって耳を傾けるようい聞き手でなければいけません。注意すべき点をあげてみましょう。


  1. 子どもの認識をくつがえしたり無視したりしないこと

  2.  子どもの意見をもっともだと認めてください。

     例をあげると、子どもが、「うへっ、この牛乳酸っぱいよ」と言っても「なに言ってるの、味なんかわからないくせに」などと言わないこと。絵が「あまり上手に描けなかった」と子どもが言っても、「あら、いいと思うわよ」とは言わないことです、子どもを自分の思い通りにさせようとして、親にはこう応答する傾向があります。 親は子どもの気を引き立てたくて、つい、「気になさんな、大丈夫よ」とか、「ほら、そう悪くもないわよ。元気出して」などと言ってしまうものですが、これは止めてください。

     子どもは(大人だってそうですが)、自分の感情を無視された言い方をいやがります。子どもの気持ちを認めて、「なんて残念なんでしょう、あんなに楽しみにしてた遠足なのにね。お天気のせいで中止だなんて」のように言う方がいいのです。共感を示し、理解してあげることで、子どもは辛い思いを乗り越えていきます。

     子どもは分かってもらうよりは、ほっておいてほしい時があることも覚えておきましょう。「イライラしてるようね、そのことで話したい?」と聞いてみれば、話したいのか、ほっておいて欲しいのか分かります。

  3. 子どもを問いつめないこと

  4. 「……ということなの?」とか、「本当にどうかした?」、「どうしてそんなこと分かるの?」といった聞き方をすると、子どもは弁解がましい態度をとるようになります。子どもの判断を信用していない聞き方だからです。 子どもを厳しく追及したり、いろいろ突っ込んで聞き出すのはやめましょう。

  5. 自分の意見を子どもに押し付けない

  6.  誰が正しいか、誰の意見のほうがいいかという議論にならないように気をつけてください。そうなると、それぞれの立場で対立するだけです。できるだけ、子どもの意見のなかに賛成できる点を見つけてください。

     子どもの言うことに賛成できなくても、「それはおもしろいわね」とか、「そんなふうに考えたことなかったわ」、「そうかもしれないわね」とは言えるものです。 「そんなばかな」とか、「よくそんなばかなことが言えるわね」、「自分の言ってることが分かっちゃいないでしょ」といった言い方は、子どもの意見も感情も無視していると言えましょう。

     意見の違いを言う場合も、「そうばかりとは思えないわ」とか、「母さんはそういうふうには考えないんだけど」、「母さんは違う意見よ」と、上手に表現してください。子どもが親の反対を覚悟で何かしようという時には、「残念だけど、その考えには賛成できないわ」と言ってみます。

  7. アドバイスは控え目にする

  8.  親がどんなによかれと思って注意しても、子どもは自分の経験から学ぶチャンスをほしがるものです。またそれは必要なことでもあります。子どもに干渉しすぎると、子どもはいずれ親を疎んじて、どんな助言にも反発するようになります。 本当に必要なときのためにアドバイスは賢くとっておいてください。
     もしアドバイスが拒否されても言い返さないこと。例えば、十代の娘が毎晩夜遅くまで勉強しているとします。「そんな勉強しないでもっと早く寝たほうがいいんじゃない?」と言っても、「心配しないでよ、大丈夫だから。疲れてないわ」と答えるでしょう。どんなに頑張って、早く寝かせようとしてもうまくいかないはずです。
     それでも親が言い続ければ、娘は反抗するだけです。「分別ある考えを、あなたならするって信じている」と伝えて話しを切り上げてしまうのが一番いいでしょう。 特に子どもが望んでもいない時に助言するには、率直に「そのことについて何かアドバイスがほしい?」とか、「お母さんだったらどうするか聞きたい?」とたずねてみるのがいい手です。
     こうすれば、子どもはよけいな助言に煩わされることもありませんし、親としても、アドバイスを拒絶されていやな思いをせずにすみます。 アドバイスをほしがっている時でさえ、すぐに答えを与える必要はありません。「どうしたらいいと思う?」のように、たずね返して、自分で解決策を見つけさせます。子どもが、「分からない」と答えたら、「……って考えたことある?」とアドバイスしていきます。 年長の子どもの場合には、短慮に大切なことを決めてしまわないように、時にはアドバイスしてください。

その他

子どもを起こすには

 できれば、子どもに目覚まし時計を与えてください。そうすれば、親が起こさなくてもすみます。もし、朝起こすのが親の役目なら、気分良く起こしてあげてください。ブラインドを挙げて、「起きる時間よ」と優しく言います。自分でさっと起きる子もいれば、起きる気になるまで二、三分かかる子もいます。特に朝が苦手な子どもには、「起きるのって辛いわね、分かるわ」とその子の気になってあげましょう。「起きなさい」と言うのはかまいませんが、なんども部屋に入って行ってせきたてたりしないでください。

兄弟のあいだの嫉妬

 年齢の近い兄弟のなかで特定の子だけをかわいがると、傷つきます。タルムードは、ヤコブがヨセフを溺愛して、悲惨な結果になったことを取り上げています(創世記三七章の物語)。

『子どものうち一人だけを特別扱いしてはならない。ヤコブはほかの息子たちよりヨセフに、2セライーム多く毛織物を与えたので、息子たちはヨセフをねたみ、その結果、私たちの祖先はエジプトへ行かされることになったのだから』

 張りあう気持ちが子どもにあったとしても、親が子どもを比較したりしなければ、妬んだりはしません。 

「どうしてお兄ちゃんみたいにできないの?」などは禁句。

 また、みんなの前で一人の子だけをよく言ったり、成績をほめたりするのは極力避けることです。

 自分より頭がよくて才能のある兄弟に嫉妬している子がいたら、その子の気持ちを思いやらずに、「頭がよくないからって気にしないの。あなたはスポーツが得意じゃない」などと言わないで、「そうね。お姉ちゃんみたいにいい点がとりたいわね」と、理解を示したほうがよいのです。

 年長の子どもには「嫉妬はよくない」と教えましょう。嫉妬は諸刃の剣。他人に向けられているかにみえても、他の誰よりも深く傷ついてみじめな思いを味わうのは本人なのですから。

暴力には黙っていてはいけません

 子ども部屋で、叩いたりけったりのけんかをしていても、荒っぽくなってきた時だけ割り込んで引き離して、あとはかかわらないようにします。 こういう場合、「こんなことでけがするのは困るから、離れていなさい」と申しわたして、二人を別々の部屋に入れて冷却期間をおきます。 

 けれど、親の見ている前で、一人がもう一方に暴力を振るったら、黙っていてはいけません、また、赤ちゃんに対して年上の子が乱暴なことをした場合には、間に入って赤ちゃんを守ってやるのが常識です。

 よちよち歩きの子どもや用事が赤ちゃんをいじめるような場合には、叱らないで、「赤ちゃんをけがさせたら大変」と静かに言いながら、その子をその場から遠くにつれていきます。 ところで、人をぶつのはいけないことなので、子どもにもそうさせてはならないと思っている親もいます。子どもが暴れると、「人をぶっては(けっては)いけません」と言い、それでもやめなければ、子どもを引き離します。

 といって、「(誰だれが)ぶった!」と子どもが言いに来る度に、親が介入しなければならないということではありません。何が起きたか正確につかんでいない場合には、「かわいそうにね。あとで言っとくわね」とだけ答えておくほうがいいでしょう。

 ぶった子に対してはその子の立場に立って、「自分を抑えるのはむずかしいことだとは思うけれど、弟をぶってはいけないのよ」のように言えば、その子の立場に理解を示して、同時に、やってよいことと悪いことがあると教えることにもなります。

「ぼくを怒らせるようなことするから」と言うぶつ子には、「今度、誰かがあなたを怒らせたら、ぶたないで、そのかわりお母さんに言いに来なさい」と言うこともできます。

告げ口はいけない

 兄弟姉妹や友だちが悪いことをしたと親に言いつけるのは、物事をいいほうに持っていこうとする場合のみ許される。

 さもないと禁じられているレション・ハラア(悪口、告げ口、中傷)を言っていることになる。 兄弟を叱ってもらいたくて、親に文句を言いに来るとしても、まずは自分で兄弟をいさめるべきで、それでも効き目がなかったり、相手がきこうとしなかったら、親に言いに来てもいいでしょう。

 一方、子どもの告げ口をうのみにしてはいけません。子どもが言いに来たときに、いちいち説明するのは大変ですから、「知らせてくれてありがとう。そのうち、お兄ちゃんに言いましょうね」と答えてください。あとで言われたことをどうしてそのまま受け入れなかったかを説明してください。

盗みの問題

 幼い子どもは、どれが自分のものでどれが他人のものかはっきりしないことがよくあります。店や友だちの家からほしいおもちゃを持って帰りたくなったとき、それを“盗み”と呼んではいけないのです。「そのおもちゃはあなたのではないでよ」と説明して、優しくあきらめさせてください。スーパーマーケットでキャンディを勝手に取ってしまったら、それはお店のものだと教えて棚に返すようにさせましょう。 六歳になれば、盗みがどういうことか、そして盗みはいけないことだと分かるようになります。

悪い言葉づかい

 子どもが悪い言葉を使う場合、その意味を知っていて使うのではなく、大人の反応がおもしろくてということが多いものです。 ですから、びっくりしないこと。

 子どもがよくない言葉を口にしたら、「いい言葉ではないから使ってほしくない」と静かに教えてください。落ち着いた態度でいることです。悪い言葉を、また口にしたら、「言わないように注意したはずよね」と、冷静に言ってください。「そういうのは汚い言葉なの。あなたの口から出てくるなんておかしいわよ」と言ってもよいでしょう。

 もう少し大きい子どもなら、「そんな言い方をするんじゃありません」と軽く叱るのも効果があります。また、いやらしい言葉は、言った人も品位が傷つくことになるので、トーラーでは強く禁じられていることも教えておきましょう。 とはいっても、“子どもが悪い言葉を使うたびに注意しなければいけない”というわけではありません。

 注意されるからますます使うような印象を受けたら、しばらく無視してみることも必要です。いずれにせよ、冷静でいることが大切です。
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