子どもを育てる親には是非見て欲しい本―IQ200になる習慣―

もくじ
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まずは運動でドーパミン
「IQを上げるのに勉強ではなくて運動?」 そう思われた人もいるかもしれません。しかし、これが大変重要になってきます。ドーパミンは運動を促す神経伝達物質で、行為の報酬としての役割もあります。人間はドーパミンが出ることで、モチベーションを高めたり、ものごとを学習することができます。 しかし、子どもの時はドーパミンは運動以外では微量にしか出ません。
そこで、はじめは体を動かすことでドーパミンをたくさん出す訓練をするのです。 運動はサッカーや野球など子ども自信が楽しめるゲーム性のあるものがよく、腕立て伏せやランニングなどの基礎訓練では、子どもは退屈しますし、ドーパミンもあまり出ません。
運動でドーパミンを多く出せば、それを脳が覚えます。そこで初めて抽象思考でドーパミンを出す訓練、つまりIQを上げる訓練の土台ができるのです。
脳に負荷
脳でドーパミンを出させる一方、もうひとつ心がけてほしいことがあります。 それは脳に負荷をかけてあげること。具体的には、ちょっと難しい問題に取り組ませることなどがいいでしょう。例えば、その子のレベルよりも少し難しい問題にチャレンジさせます。子どもが小学校低学年であれば、中学年や高学年の問題をやらせてみます。
負荷をかけるのは子どもの脳を短時間で活性化させるためです。ですから、長時間、問題を解かせたり、大量の問題を解かせる必要はありません。
常に疑問を持つ習慣を
この著書の苫米地さんは子どもの頃からいつも何か考えていたそうです。言い換えれば常に疑問をもっていたということです。 余談になりますがアインシュタインも同じようなことを口にしています。「過去から学び、今日のために生き、未来に対して希望をもつ。大切な事は、何も疑問を持たない状態に陥らないようにすることである」
子どもの頃から疑問を持たせ続けたら、それが習慣になります。大人はすぐに子どもの疑問を下らないものだとして会話をうち切ろうとしますがそれはよくありません。
子どもに調べさせる、考えさせることを習慣付けようと思うのならそういった日常の細かな部分にも配慮が必要です。
子どもにはなんでもかんでも説明させよう!
苫米地さんの御友人でオックスフォード大学とスタンフォード大学に娘を合格させた方がいらっしゃいます。その方は説明させる以外特になにもしていないとおっしゃっています。具体的には以下のような内容です。子どもは「赤信号でなぜ止まらないといけないのか?」など何気ない疑問を抱きます。 そこで、「どうして止まらないいけないと思う?」と聞いて、説明させるのです。
子どもはきっと自分なりの仮説を立てて答えるはずです。 もし、子どもが「危ないから」と答えると、そこで「なぜ、危ないの?」とさらに問いかけます。 そうやって、どんどん尋ねて、どんどん説明させるのです。仮に相手の答えが間違っていてもかまいません。何でもいいのです。
とにかく疑問を持って、それを説明するという行為が重要なのだそうです。
IQを上げてくれる習いごと
ピアノやヴァイオリン、つまりクラシック音楽を習うことです。音楽は抽象思考です。特にクラシックは過去の天才達の作品を再現します。モーツァルトやベートーヴェンなど、過去の偉大な芸術家たちが表現したかった抽象度の高い世界を、リアリティを持ってイメージしなくてはなりません。
彼らの世界観に整合性を持たせて、自分が再現するわけですから、抽象度がとても上がるのです。 ピアノやヴァイオリンは、指先を素早く細かく動かすので、脳を活性化させるのにも適しています。手を動かすのも、施行するのもドーパミンを放出します。
そして、それを抽象空間で音楽という代替物で行うのですから抽象度を上げるとてもいい訓練になります。
セルフイメージで快適空間を作る
エフィカシーとは自分の能力の自己評価です。「自分はこういう人間なんだ」というセルフイメージこれをエフィカシーといいます。「僕はクラスで誰よりもいい成績をとることができる」 「私は誰よりも速く走ることができる」
人は自分に対して何らかの評価を下しています。それは他人からの評価をうのみにする場合もあれば、自分で築きあげた独特の価値観もあります。しかし、そうやって築かれたエフィカシーによって、その人のパフォーマンスは大きく左右されてしまいます。
人間は、「自己がここにある」という自己イメージへの評価のレベルでしか、パフォーマンスを発揮できないようになっています。エフィカシーが能力の上限を決めるのです。つまりエフィカシーが高ければ高いパフォーマンスに、エフィカシーが低ければ低いパフォーマンスになるのです。
一方、コンフォートゾーンとは、直訳した意味のとおり「心地よい空間」のこと。これは物理的な空間に限ったことではなく、精神的な空間も含まれます。 人間は自分がコンフォートゾーンの中、つまり心地良い空間にいるときは、高いパフォーマンスを発揮することができます。逆にコンフォートゾーンを外れてしまうと、とたんにパフォーマンスが下がります。
例えば、ゲームが好きなオタク少年が、秋葉原のゲームセンターに行くと目を輝かせてゲームに熱中します。しかし、六本木の華やかなパーティー会場に行くと落ち着かなくなってしまいます。
これは、彼にとってゲームセンターがコンフォートゾーンで、パーティー会場がコンフォートゾーンではないからです。 中国人がどこの国へ行ってもチャイナタウンを形成するのも、日本人が和食が食べられる店に集まるのも、そこがコンフォートゾーンだからです。
アウェーでサッカーの試合に行ったときがいい例です。日本の選手が中東などの敵地で試合をすると、大抵苦戦しています。これはその地に慣れ親しんでいないからです。 人間は慣れ親しんでいないところへ行くと、運動能力も知的能力も下がるようになっています。
アウェーでも力を出せるようにするためには、イメージすることが大切です。 アウェーのブーイングが歓声に聞えるように、ゴールを決めている自分が見えるようにエフィカシーを上げたうえで、メンタルリハーサルを何度もしてアウェーをコンフォートゾーンにするのです。
タイガー・ウッズが勝ち続ける理由
2005年世界ゴルフ選手権第3戦で、彼はジョン・デーリーという選手と激しい優勝争いを繰り広げていました。最終日の18番ホールを終えて、プレーオフの2ホール目、ジョン・デーリーがパットを沈めれば次のホールへ勝負は持ち越される、外せばタイガーが優勝という局面になりました。そして、相手のパッティング……。
さて、ここで問題です。そのときタイガーは、どう思ったでしょうか?
「外せ!」と相手のミスを祈ったでしょうか。 「次のホールに持ち越しになったらどうしよう」と弱気になったでしょうか。 違います。彼が思ったのは……
「入れろ!」でした。
彼は、「入れろ。入れてくれたら相手は、まだ俺とゲームの続きができるぞ!むしろ、入れてくれないと、そんなレベルの低いプレイヤーと戦っていたことになるから俺のエフィカシーが下がると思ったのです。」
このとき「外せ!」と思うことは、外してもらって初めて勝てるという心境になります。これは彼が自分のレベルを相手に合わせてしまっていることを意味します。
タイガーにとって、相手が誰であろうと自分のほうが上の立場でいます。「自分が最強なんだ」とエフィカシーを維持して心から思っています。
ですから、パットを入れる相手でないと、自分のレベルにあわないことになってしまうのです。「相手がパッティングを入れて初めて戦える」くらいの気持ちでないと、高いエフィカシーを保てません。決してエフィカシーを落としてはいけないのです。 ウッズにとっては「自分らしい」か「自分らしくない」かしかありません。
彼は試合に勝つと自分らしいと思い、負けると自分らしくないと思っています。「成功は自分らしい」「失敗は自分らしくない」そう思って彼は生きているのです。
ですから、「自分らしくない」「しまった」と思ったときは、思いきり悔しがります。いくら頭に血がのぼってもかまいません。そうすることで自分が高いエフィカシーを取り戻しています。
誤解のないようにいっておきますが、高いエフィカシーは「はったり」とは違います。 はったりは、自分が思っている以上の評価を持つこと。自分が設定したエフィカシーより高いために、コンフォートゾーンから外れてしまっています。
子ども自身に高いエフィカシーをもたせ、心の中で次のように思わせるのです。「自分らしい」か「自分らしくない」かを。
成功したとき、口でどれだけ謙虚なことをいっても、心の中では常に「あたり前」と思う。それくらい高いエフィカシーを持たせるようにするのです。
リラックスが重要
学問も運動も習得するのは、リラックスしているときです。それにリラックスしているということは、コンフォートゾーンにいるということでもあります。つまり先にリラックス状態をつくると、強制的にコンフォートゾーンになります。ですから、学習するときにまず気にかけることはリラックスしているかどうかです。交感神経が働いているときはもちろん、緊張しているときはコンフォートゾーンから外れているため、IQは下がってしまいます。 特に子どもは意外とリラックスするのが下手です。リラックスするのに一番簡単な方法は、次の呼吸法を実戦することです。 息をゆっくりと吐きながら、力を抜いて体を暖める。
子どもの夢は絶対壊してはいけない
親は決して子どもの夢を壊すようなことをいってはいけません。それが親の意にそぐわないものだったとしてもです。むしろ、子どもが夢を語るようになったら、それをうまく利用して高いエフィカシーへと誘導すべきです。子どもに「将来は何になりたい?」と尋ねたとき、もし「花屋さんになりたい!」と答えたら「それはいいわね。あなたなら勉強もできるし絶対になれるわよ。そして花屋さんでも何でも、なりたい人になれるわよ」といえばいいでしょう。
その子が男の子でも決して、花屋さんになる夢を否定してはいけません。それでは単なるドリームキラーです。そうではなく、「すごいね」といってあげればいいのです。そして、「あなたは勉強ができるからね」と付け加えてあげます。
すると、子どもの頭の中では、「花屋さんになる=勉強ができる」という図式ができます。 もし、子どもの気が変わって「電車の運転手になりたい」といえば、「花屋さんもいいけど、運転手さんもいいわね。頭のいいあなたならもちろんなれるわよ」といえばいいのです。
常に高いエフィカシーを設定して、それを満たしてあげればいいのです。
子どもに本の役割を正しく教えよう
では、子どものころ、つまりクリティカルエイジのときには、どのような本を読むべきなのでしょうか。まず、子どもには読む量は関係ありません。たくさん本を読ませようとする必要はありません。それよりも子どもに本の役割を正しく教えてあげることです。子どもには、まず自分の興味から学習するという一連のモチベーションを大切にさせます。このモチベーションを作るきっかけが読書となります。
人間がコンフォートゾーンを維持するためには情報収集活動をしなければなりません。例えば、ある特定の鳥を捕獲したいと思ったら、その鳥がどこを飛んでいるのか、罠を仕掛けるにはどうしたらいいか、そしてその材料はどこで手にいれればいいか、などの情報が必要になります。
そして、情報を収集して、結果その鳥を捕獲できれば、コンフォートゾーンが維持され、気持よくなれるのです。このような情報収集が複雑化したものが学習であり、そしてフォローしてくれるのが読書なのです。
さて、子どもが本を読むのは、「いやいや」ではなく、「好き」でやらなくてはいけません「have to」ではなく、「want to」です。
好きでゲームをしている子どもが、そのゲームの攻略本を買ってきてむさぼるように読んでいるのが「want to」です。その子どもは「いやいや」読んでいるのでもなく、「努力」しているのでもありません。「好き」で読んでいるのです。
宇宙飛行士になりたい子どもが、目標を達成するために物理学を勉強する。宇宙に関する本から、物理学のテキストを読む。これも「want to」です。
最近の子どもは本がそういう道具になることを知らないままに育つことが多いのです。私は子どもを塾に通わせるくらいのお金があったら、その分を本につぎ込んであげたほうがいいと思っています。もちろん、そういう教育をしてくれる塾があればそういう価値はあると思いますが。
ただし、大人が本を買うにあたっては注意が必要です。というのは、子どもに読ませたい本を選んでしまいがちだからです。何がおもしろいか、何が重要か、大人は決して限定してはいません。子どもが読みたい本を買ってあげるのです。
理想的なのは、図書館さながらの様々なジャンルの多くの本が家にあることです。私の場合は、学者の家系だったので、実家には実に多くの本がありました。
百科事典からビジネス書、和書から洋書までそろっていました。ですから、わたしは親からすすめられることなく、読みたいと思った本をかたっぱしから読むことができました。蔵書は、2,3000冊あれば十分です。「そんなに多く…」と思った人がいるかもしれませんが、すぐにそろえる必要はありません。
子どもが生まれてから1ヶ月に20冊ずつ、10年かけて買い続ければいいのです。そうすれば、出費は年間で30万円ちょっと。下手な塾に通わせるよりよっぽど安上がりです。
買う本は、ジャンルを設定しません。それこそ売れている本をかたっぱしから買えばいいでしょう。
過去の名著もできれば毎月5冊ぐらいは買ってください。
子どもが10歳、できれば20歳になるまで続ければ、家は立派な図書館になるし、子どもは本を手に取るはずです。やりたいことが見つかれば、必ず子どもは本を読み始めます。そして、知らない間に子どもは読書に熱中し、読書によってコンフォートゾーンを維持することができるようになるでしょう。
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